今さらながら『シン・エヴァンゲリオン』とは何だったのかについて書こう。シンジは2021年の僕らに生きる目的を教えてくれたのか。
この記事は、エヴァンゲリオンシリーズを全て(もちろんシン・エヴァも)観ているかつ、考察とかしがちな人に向けて書いています。エヴァンゲリオンを全然知らないとか、カオルくんがカッコイイシーンしか観てないって人には楽しくないきじとなります。
参考記事
多分思いつくたびに、加筆をしていきます。
ずっとネタばれ禁止宣言を気にしていて何も書けなかったので、記憶を頼りにしています。
エヴァとは、「大人の身勝手な都合に翻弄される、子供たちの物語」
上の参考記事が面白かったのは、エヴァにおける難しい設定はすべて『代替可能である』という点である。たしかにあのシリーズは、何の設定も公開されない。
シン・エヴァは「蛇足」であるというレビューも散見された。
言っている意味は分かる。あれは、すなわち庵野さんが
終わりにしたかった。
だけである。
なんやかんやで、ハッピーエンドを設けてしまいたかったのだろう。
僕やあなたのような人は、考察をしてしまいこんな記事を書いたり読んだりしているが、それは「身勝手な都合を作る側の大人」になったことを示している。
僕らは身勝手な都合を、解体して理解しようとしてしまう。
その行い自体がもはや、蛇足であり、満足に映画を楽しめないワケなのかもしれない。
身勝手な都合にまみれた世界で、僕らはどう生きればいいのか。
新劇場版も、破までは評価が高かった。あれは要するに、「観客も理解できる世界の範疇」だったから。
それがQでぶっ壊れた。
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僕と同じように、Qを観ている間は口が開きっぱなしだった人は多いだろう。
僕らはまた、庵野に置いていかれたのだ。
ねぇ、カオルくん。答えてよ。どうしてなの?
Qでは、誰も僕ら(シンジ)に目を合わせてくれない。
誰も世界の不条理さを説明してくれない。
それもそうである。大人も分かってないんだから。
全部分かっているように振る舞っているけど、世界がどうしてこうなっているのか、僕らはどこに進めばいいのかなんて分かってないのだ。
シンジ(僕ら)はそんな感じで、また『何も分からない世界』に投げ出された。そこは、なんと14年後の世界なのだ。
この感覚、2021年のぼくらとも似通っていますよね。
シンエヴァは、シンジは僕らに答えを教えてくれたのか?
やっとシン・エヴァの話に入れる。この脱線具合から、僕のエヴァオタク感がにじみ出ていると思う。
シンエヴァの前半は、不条理さに疲れて失語症になったシンジ(僕ら)がひこもっていく様を描いている。
あんなに心配していた、絢波(仮称)も第三新東京都市の仲間たちとも向き合えない。
シンジは、エヴァに関わる世界以外の村と向き合えなかった。
だってワケが分からないから。
あらゆる大人が、シンジに救われたことを理解していたし、優しく関わろううとしてくれた。今度はシンジの被害者意識が、世界を閉じさせた。
僕は被害者だから、もう関わらないでほしいと。
世界を最も閉ざしていた親子
後半は、エヴァシリーズの全てを補完しようとしている作り手の頑張りが見えてくる。
25年経って、シンジとゲンドウはサシで向き合う。
ゲンドウはシリーズを通じて、最も成長のないキャラである。
彼の世界には、ユイしかいなかった。そのユイ面影があったシンジには向き合うことができず、最もいい解決法が『子育てを放棄』することであると結論付けた。
彼を救ったのは、その子であるシンジだった。
ゲンドウとシンクロしたかのような生活を送ってきた、シンジ。
だが、彼は不条理な世界と向き合うことを選択したし、不条理に見えた世界は「優しい世界」でしかなかった。
神話の世界では、子どもは父親を殺すことで終わることが多いが、シンジはサンバイザー経由でゲンドウと向き合うことにした。
精神的に父を超えてしまったシンジは、実は破でパラシュートから落ちてきた頃から惹かれあっていたマリと優しい世界で生きていくことを望みました。
不条理な世界に置いていかれた観客。
さて、残された僕ら観客です。僕らはいまだに不条理になり続ける世界に置いていかれてます。
僕らが生きる世界は、あんなに「優しい世界」なのか。こんなことを書いている時点で、僕はゲンドウみたいにサイクロプス化している可能性もある。
エヴァは最終的に、世界と向き合えよ。家庭を持てよ。家族を愛せよ。
という意外や、意外なハッピーエンドを置いていきました。
この映画を観て、ダメージ食らった人を何人か知っています。
僕はどんぴしゃで食らって、あの映画の村みたいな地元に帰って絢波みたいになろうとマジで思い始めました。
ああやって、ゼロから作り直していくのが2021年な気がしています。そして、作りなおされるのは2019年までの世界ではありません。
全く考えたこともないような世界です。
答えは本当にないし、各々が生きたいようにいきないと存在意義がなくなる世界でしょう。
庵野さんはとんでもない爆弾を置いていきましたね。